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「上手くいくはずがない」ー ピノ・ノワールを愛する3人の若者が、共同でワイナリーを立ち上げる際、皆が口を揃えたそうです。潤沢な資金はなく、畑も醸造施設も持たず、設立者は駆け出しの醸造家が3人という前代未聞のワイナリー、アントヒル・ファームズ。しかし人々の予想とは裏腹に、初ヴィンテージの2004年から間もなく、彼らのワインは他のカリフォルニアのピノ・ノワールとは一線を画すそのエレガントなキャラクターと高いクオリティで、多くのワイン関係者や愛好家を魅了しました。世界的なワイン評論家ステファン・タンザーは「見守るべきワイナリー」と評し、ブルゴーニュ評論の権威アラン・メドーは彼らのワインを手に入れるためにメーリングリストへの登録を勧めています。また、この突如として現れたこの新星ワインをフレンチ・ランドリーをはじめとするトップクラスのレストランがこぞって求めました。彼らの確固たるビジョンから生まれたピノ・ノワールは熱狂を持って受け入れられたのです。
彼ら、アンソニー・フィリベルティ、デイヴィッド・ロウ、そしてウェブスター・マルケスの3人は、ウィリアム・セリエムでワイン造りを学んだ2003年に出会いました。当時、アンソニーとデイヴィッドは30歳、ウェブスターは24歳、彼らは互いに味覚や理想とするワインが似ていたことで意気投合しました。3人で共にワイナリーを設立する夢を語り合い、ウィリアム・セリエムでの収穫が終わるとすぐにその方法を模索しました。
目指すワインは最初から決まっていました。冷涼な気候のノース・コーストの様々な畑から、表情豊かでエレガント、そしてなにより美味しいピノ・ノワールを造りたい。彼らはまず、ソノマの北に位置するアンダーソン・ヴァレーで畑を探し歩きました。ですが、ただこの地のピノ・ノワールが手に入れば良い訳ではありません。周囲の畑とは違う特徴を持った、彼らの言葉を借りると「自分たちに語りかけてくるような」畑を求めていました。彼らには若さ故の行動力だけではなく、畑のテロワールを見極める才能があり、また時には、気難しい栽培家に好まれる何かも持ち合わせていました。それは例えば、ワイン造りへの情熱、謙虚さ、将来性といえるかもしれません。様々な出会いを通じてたどり着いたのは、ブーンヴィルの町を見下ろす丘にあるアビー・ハリス・ヴィンヤードとデムス・ヴィンヤードでした。彼らはこのふたつの単一畑から数樽のワインを2004年に初めて手掛けました。醸造施設は、デイヴィッドが働くソノマのパパピエトロ・ペリーが無償で提供してくれました。
「畑の世話は最大限に、醸造で手を加えるのは最低限に」をモットーとするワイン造りでは、各畑のキャラクターを引き出すための非常に細やかな配慮がなされています。栽培ではサステイナブル・アグリカルチャーを採用し、一部の畑ではビオディナミ(有機農法を発展させた農法)も導入されています。醸造においては、部分的にブドウを除硬せず、開放型の発酵槽を用いて自然酵母のみで発酵を行い、熟成に用いるフレンチオークのバリックの新樽率は10~40%と低いです。ワインをタンクから移動させる際はポンプを使わず、清澄もろ過も行わず瓶詰めされます。このクラシックな造りから生まれる彼らのピノ・ノワールは、上質なブルゴーニュと見紛う優美さと繊細さを備えています。
3人とも日中は別のワイナリーの醸造家として働いているため、アントヒル・ファームズとしてのワイン造りは深夜に及ぶことも少なくありません。夜中の3時に圧搾を始め、それが終わるまでセラーのパレットの上で仮眠をとったことも何度かあるそうです。その昼夜の別なく懸命に働く様子や、醸造タンクに3人が集う様子は、ブドウに群がるアリのようとも形容され、ワイナリー名とラベルのシンボルになっています。設立から10年近くかけ、慎ましいサイズながらも少しずつ畑を増やし、現在ではメンドシーノ・カウンティとソノマ・カウンティの4つのアペラシオンでワインを手掛けるようになりました。生産量は格段に増えましたが、それでも入手困難な生産者のリストに名が挙がります。年を追うごとに彼らのワインは洗練に洗練を重ね、2011年には、ワイン・アンド・スピリッツ誌で、カリフォルニアのフラワーズやフランスのルフレーヴ、ギガルと並び、世界のトップ100ワイナリーのひとつに選ばれています。
※インポーター資料より引用
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