
ドメニコ・クレリコ|モダン・バローロを築いたイタリア・ピエモンテの名門ワイナリー
伝統を打ち破るモダン派の旗手とクオリティーへの執念
イタリア・ピエモンテ州のランゲ地方において、伝統を覆し「モダン・バローロ」(ネッビオーロ種から造られるイタリア最高峰の赤ワイン)の礎を築いたワイナリーがドメニコ・クレリコです。
代々モンフォルテ・ダルバで農家を営む家系に生まれたドメニコは、1976年に父親から家業を引き継ぎ、同年にワイナリーを設立して元詰めを開始しました。
当時のランゲ地方は非常に貧しく、彼の生家も細々と農作物を育て豚や鶏などの家畜を飼って生計を立てていましたが、彼は土地の可能性を強く信じ、自身が強い興味を抱いていたワイン造りへの挑戦を決意したのです。
ドメニコ・クレリコの歴史|モダン・バローロを生んだ革新と挑戦
彼が真っ先に掲げたコンセプトは「クオリティーの高いワインを造ること」であり、そのためなら伝統に反する手法も厭いませんでした。
当時のイタリアでは伝統や宗教的背景、そして貧しさゆえの収入確保のために樹に実ったブドウは全て収穫するのが当たり前でしたが、ドメニコはこの地方で初めてブドウを間引きする「グリーンハーベスト」(品質向上のために未熟な房を間引く栽培方法)を試み、神の恵みを間引くという当時のタブーを打ち破りました。
これにより収穫時期が11月中旬から10月上旬へと1ヶ月半も早まり、霧や雨による気候リスクを回避してブドウ栽培の底上げに成功したのです。
さらに、ネッビオーロの熟成を経たフィネスはブルゴーニュのピノ・ノワールに通じると信じた彼は、リリース直後から楽しめ、20年後にも飲めるバローロを目指して1981年に同志エリオ・アルターレとブルゴーニュを訪問します。
そこでトラックに積めるだけの19個のバリック(小樽)を持ち帰りましたが、初挑戦の1982ヴィンテージは、樽の目減り分を数週間毎に継ぎ足す知識がなかったため酸化させてしまい、すべて廃棄するという大挫折を味わいました。
1980年代のピエモンテでは数少ないグレートヴィンテージだったため来日時に相当な悲しみを漏らしていたドメニコですが、醸造学校の先生さえバリックの使い方を知らない時代にあっても決して諦めず、再度ブルゴーニュへ赴きありとあらゆる情報を収集。
そうして試行錯誤の末に仕込んだ1983ヴィンテージで見事に大成功を収め、彼の芸術家的な感覚を意味する「Art」と「ネッビオーロの新しい醸造方法」という2つの意味が込められた初のバリック熟成ワイン「アルテ(Arte)」をリリースしたことにより、クレリコの代名詞であるモダン・バローロのスタイルが確立されました。

畑仕事への情熱とバローロ・ボーイズの台頭
醸造テクニックばかりに焦点が当てられがちなドメニコ・クレリコですが、その本質にあるのは「ワイン造りの90%は畑仕事で決まる」という確固たる信条でした。
どんな新しい醸造の試みも、すべては良いブドウがあってこそ意味を成すという考えから、彼は毎日我が子を世話するように畑に通いつめ、ブドウの樹一本一本の性格まで知り尽くすほど狂信的な情熱を傾けていたのです。
【仲間と分かち合った革新の技術】
生活の中心を日々の畑仕事に置いていたドメニコは1990年代初頭、マセラシオン(果皮浸漬)に人手を取られず畑へ深く献身するため、また当時は温度管理ができる撹拌装置がほとんどなかったことから、スイスのチョコレート製造機を改良した「ロータリー・ファーメンター(回転式発酵槽)」を導入しました。
パオロ・スカヴィーノが最初に導入したこの手法を駆使し、一定の温度と短い期間でマセラシオンを行うことでタンニンが柔らかくエキスが凝縮された力強くも早いうちから楽しめるワインの醸造を可能にしたこと、さらに1995年から2001年まで7年連続のグレートヴィンテージに恵まれたことも後押しとなり、この新しいスタイルは市場へじわじわと認知されていくことに。
ドメニコはパオロ・スカヴィーノと共にモダン派の代表としてマルク・デ・グラツィア・グループを牽引して「モダン・バローロ」と「バローロ・ボーイズ」の存在を世に確立し、自ら得た経験や知識を内に秘めることなく周囲の生産者に惜しみなく教えたことで、この手法をバローロ全体に広く普及させ地域のクオリティ向上に偉大な功績を残したのです。
また、彼の畑仕事への絶対的な哲学には、フランスの偉大な白ワインの造り手であるディディエ・ダグノーとの出会いも深く影響しています。
かつてドメニコが教えを請うために遠方から1ヶ月前、8日前と入念に確認をして昼の12時にダグノーを訪ねた際、「オレの畑はオレを必要としている、お前たちの畑はお前たちを必要としているんだ」とにべもなく断られ畑へ向かわれてしまったものの、めげずに夜8時に再々訪したセラーでは夜中の3時まで延々と畑仕事について熱く語り合いました。
この経験を通じて畑仕事の重要性を改めて深く刻み込んだ彼は、所有する計21ヘクタールの畑のドルチェット、バルベーラ、ネッビオーロの3品種すべてに同じように手を掛ける一貫した姿勢を徹底。
大事に育てたブドウは収穫が終わると必ず自分でトラクターを運転してカンティーナまで運んでおり、「この瞬間が自分にとって1年でいちばんの喜びの時だから」と、他の誰にもハンドルを握らせないほど畑への愛情に満ちあふれていました。

ドメニコ・クレリコの醸造|バローロワインを進化させたモダンスタイル
モダン・バローロの巨匠として世界的な名声を不動のものにしたドメニコ・クレリコですが、そのワイン造りに対する情熱は晩年になっても決して衰えることはありませんでした。
現状に満足することなく自らのスタイルをさらに進化させ、次の世代へとその純粋な意思を繋いでいくための挑戦を、彼は生涯にわたって続けたのです。
【進化を続けたバローロの巨匠】
バリック(小樽)熟成によるモダン・バローロを確立した第一人者でありながら、ドメニコは2000年代後半に入ると、さらにブドウ本来の果実味やテロワールを純粋に表現するため、それまでの大樽と小樽の比率を見直すなど、より洗練されたエレガントなスタイルへと自身のワインを進化させていきました。
2017年に彼が惜しまれつつこの世を去った後も、その「ワイン造りの90%は畑仕事で決まる」という絶対的な哲学とピュアな精神は、長年彼を支え続けた妻のジュリアーナと、彼の右腕として苦楽を共にしてきた醸造家のオスカル・キアネーレをはじめとする信頼おけるチームによって今もワイナリーに息づいています。
「自分はモダン派でも伝統派でもなく、ただ良いワインを造りたいだけのピュアリスト(純粋主義者)だ」と語っていた、生前のドメニコ。
その言葉通り、残されたチームは彼の情熱とこだわりを100%受け継ぎ、ブドウの樹一本一本に我が子のように愛情を注ぐ実直な畑仕事を今も徹底しています。
そうして生み出される現在のクレリコのワインは、かつての力強さに加え土地の個性がより美しく引き出された驚くほどの緻密さとフィネスを備えており、ドメニコが夢見た「リリース直後から美味しく、20年後にも飲める極上のバローロ」という理想を完璧な形で体現し続けているのです。
※インポーターおよび公式情報を基に構成